ひだまり

人生後半はゆっくりと心静かに過ごしていきたい

「認知症を理解したつもり」だった専門医の反省・・・という記事

明日からの3連休は地味に趣味を楽しむゾッ(´-`*)♪

仕事頑張ったもん 今週は。だからゆっくり休憩♡

それと、エンディングノートを又少し書き進めようかな?

 

 

 

今日はYahooニュースで↓ ↓この記事を読んでハッとした。 

認知症を理解したつもり」だった専門医の反省
認知症研究の第一人者が認知症になり、身をもって知ったことがある。医師の長谷川和夫氏は「認知症を発症しても突然、人が変わるわけではありません。『何もわからなくなってしまった人間』として、一括りにしないでいただきたい。一人の人間としてじっくり向き合ってほしいと思います」という。】

 

色々と書かれていて、認知症だった母への対応がなんて不出来だったかと反省。

特に、

■きちんと待って、じっくり向き合ってほしい

 【みなさんが認知症の人と接するとき、ぜひ、心に留めておいていただきたいことがあります。まず、相手のいうことをよく聴いてほしい。「こうしましょうね」「こうしたらいかがですか」などと、自分からどんどん話を進めてしまう人がいます。

 そうすると、認知症の人は戸惑い、混乱して、自分の思っていたことがいえなくなってしまいます。「こうしましょう」といわれると、ほかにしたいことがあっても、それ以上は何も考えられなくなってしまう。それは人間としてあるべき姿ではない。

 だから「今日は何をなさりたいですか」という聞き方をしてほしい。そして、できれば「今日は何をなさりたくないですか」といった聞き方もしてほしい。

 それから、その人が話すまで待ち、何をいうかを注意深く聴いてほしいと思います。「時間がかかるので無理だ」と思うかもしれません。でも、「聴く」というのは「待つ」ということ。そして「待つ」というのは、その人に自分の「時間を差し上げる」ことだと思うのです。

 認知症はやはり、本人もそうとう不便でもどかしくて、耐えなくてはいけないところがあるから、きちんと待って、じっくり向き合ってくれると、こちらは安心します。】

 

確かに認知症の程度には幅があり、先生が言われている限りではないけれど、

【その人が話すまで待ち、何をいうかを注意深く聴いてほしいと思います。「時間がかかるので無理だ」と思うかもしれません。でも、「聴く」というのは「待つ」ということ。そして「待つ」というのは、その人に自分の「時間を差し上げる」ことだと思うのです。】 のくだりで、「聴く」というのは「待つ」: 「待つ」というのは、その人に自分の「時間を差し上げる」こと という文面を読んで 本当にそうだと思った。

 

介護真っただ中は それはそれは大変なことも多くて、

認知症軽度といえど 話がかみ合わなかったり、仕事や家事のある中でゆっくりと時間をかけて対応することも本当に難しい。

でも、そうだったよねぇ、とんちんかんなこと言ってても 忘れてしまっていても わからないと言われても そばで静かに黙って寄り添うだけで十分なんだ。『待つことは聴くこと』

私は 母に『自分の時間をあげる』のではなくて、自分の時間に母を合わすような対応をしていた・・・いつもではなかったにしろ・・・

 

◆長谷川 和夫(はせがわ・かずお)◆
認知症介護研究・研修東京センター名誉センター長、聖マリアンナ医大名誉教授
1929年愛知県生まれ。53年、東京慈恵会医科大学卒業。74年、「長谷川式簡易知能評価スケール」を公表(改訂版は91年公表)。89年、日本で初の国際老年精神医学会を開催。2004年、「痴呆」から「認知症」に用語を変更した厚生労働省の検討会の委員。「パーソン・センタード・ケア」を普及し、ケアの第一人者としても知られる。現在、認知症介護研究・研修東京センター名誉センター長、聖マリアンナ医大名誉教授。認知症を描いた絵本『だいじょうぶだよ――ぼくのおばあちゃん――』(ぱーそん書房)の作者でもある。】

先生の書かれた本を読んでみたいけど、今は無理・・・

この喪失感の強い中で「こうすればよかった ああすればよかった」と後悔しがちな自分の気持ち、今 少しずつ浮上している中で又自分を責めだしてしまうから。

 

でも、いつか読んでみよう。